第5回 スジーワ・ウィジャヤナーヤカさんインタビュー後編 【スリランカ野球の今】2013年11月10日
【目次】
[1]野球とつながっていたい
[2]審判員としての誇り
[3]この球場は、南アジアのために
この球場は、南アジアのために
――スリランカに2012年に、初めての球場が出来たということですね。
スジーワ やっぱり、野球人口が増えてきて、野球道具の援助があったとしても、一番大事な球場がないと何も始まらないよとスリランカの野球に携わる人たちは思っていました。それは、野球をやるスリランカ人も夢でもあった。私が野球をやる前、スリランカ野球がスタートした1985年から、ずっと球場がない中で野球をやってきているんです。私も初めてマウンドにのぼって投げたのは日本に行ってからなんですよね。私にできなかったことを、後輩たちにやらせてあげたい。JICA1代目の植田一久さんを始め、2代目の後田剛史郎さん、3代目の漆原伸也さん、4代目の渡辺泰眞さんをはじめとして、いろいろな人が、スリランカの野球をなんとかしたいと思ったんです。
――実際にどのような形で動いていったのでしょうか?

大統領息子の国会議員のナーマル様と握手をかわすスジーワさん(撮影・阿部謙一郎)
スジーワ スリランカに帰って来たときにスポーツ大使に話をしましょうということで、アポイントをとって、JICAのトップの方にお願いをして、現地で渡辺さん、スリランカの日本人大使とみんなで、球場を建てたいという要望を出しました。まず球場を建てるには土地がないと話しにならないということで、スポーツ大臣から大統領にも話しをして、土地をいただきました。
実際に球場があっても、どんな形になっているのかを知らないと意味がないので、日本のエンジニアの方と渡辺さんと一緒にいろいろな球場をまわって、渡辺さんの母校の関東学院大学で、いろいろな資料を見て、そこで球場の作り方を学びました。
そして、ちょうど日本とスリランカの国交樹立が60周年になるので、その記念として球場を建てようということで、ついに決まって、実際に球場が出来た時には、球場建設の式典がスリランカでも生放送で放映されて、スリランカのスポーツ大臣などが出席する大掛かりな式典になりました。そしてその放送を見たスリランカの人たちが野球を始めたい!と思ってくれたのですが、やはり道具がないという声が多数届きまして、今はまた道具を集めている段階ですね。
――球場ができて2012年の12月に神奈川の高校野球連盟と試合を行いましたね。その試合は、スジーワさん自身、今まで審判をやってきた中で印象的なゲームになったのではないでしょうか。
スジーワ そうですね。そこで私は球審をやったのですが、試合は神奈川が3対0で勝ちました。
自分の夢であった自分の国の球場で、スリランカのみんながいる中で球審するというのはなかなかないと思うんですよ。今まで国際大会の審判をしてきましたが、国際大会で球審をするのは初めてですし、そして自分たちの母国での球場、さらにスポーツ大臣も見ている中での試合。実は、この試合、私はピンマイクをつけてやっていたんですよ。ストライク、ボールの声が全部聞こえるように。私の判定、コールした声がそのまま生中継に入ってしまうんですよね。緊張しましたけど、面白かったですね。
――10年前のことを思うと考えられない事態だと思います。
スジーワ そうですね。私が高校生のとき、野球をやっている学校は8校でしたが、今は30校まで増えましたし、野球人口は5000人以上に増えましたし、高校、大学、社会人まで野球があります。球場もできて、国が野球を応援しようという状態になっています。今まで頑張ってきた結果が報われたと思いますし、諦めないことが大事だなと感じました。その中で JICAさんが10年間、継続して活動を行っていただいたことが大きいですし、私もその時代に、ちょうど入って、一緒に活動できたのは、良かったです。こうしてつながりができたのは、運命ですね。

撮影・阿部謙一郎
――では、最後にスジーワさんの夢とスリランカ野球の夢を教えてください。
スジーワ 自分は甲子園球場で球審としてグラウンドに立ちたいと思います。今まで大学は神宮球場、社会人は東京ドームで全国大会での審判も経験しました。だから、次は甲子園。なんとかして頑張りたいですね。
スリランカ野球の夢は、日本と一緒に南アジア大会、南アジア審判講習会と大きなイベントをしたいです。なぜならば、球場は南アジア初めての球場で、それはスリランカのために作っただけとは思っていません。南アジアのために作った球場だと思っています。南アジアの野球を盛り上げることが、我々の仕事であり、使命だと思っています。南アジアのチームを集める場所、つなぐ場所にしたい。いろんな良いことを学ぶ場所にしたい。チームプレーや、諦めない気持ちなど、日本の素晴らしいところを南アジアの野球も真似て、力になる場所にしたい。というのも、そういった日本の野球を日本で学びたいといっても、南アジアから日本は遠いですし、スリランカのほうが集まりやすいと思っています。審判員としても、いずれは日本の審判と講習会をするつもりで、南アジアから人を呼んで一緒にやりたいと思っています。
そうやって、世界が広がれば、人生が楽しくなると思うんですよ。いま、スリランカの野球は、球場が出来て、まずはひとつの大きな山を登ることが出来た状態だと思っています。すると、また高い山が見えてきました。でも、仲間と一緒にやれば、またその山を登れば、また楽しいことが見えてくると思います!だから、僕はこれからも、スリランカと南アジアの野球発展のために、挑戦を続けていきたいと思っています。
スジーワさん、貴重なお話、ありがとうございました!南アジアのための球場。みんなが集まる場所になると信じています!
次回の『スリランカ野球の今~最終回~』は、スジーワさんのお話しにも登場した、今年1月に任務を終えて日本に帰国したJICA4代目の渡辺泰眞さんのインタビューや、スリランカの現地の映像などをお届けします!

- 安田 未由(Myu Yasuda)
- ■大学時代には北は北海道から南は沖縄まで、日本各地の高校野球部を50校ちかく取材。在学中に「球児とチームの心の成長」を描いたノンフィクション書籍を3冊出版。その後、株式会社リクルートの企画営業職を経て、高校野球ドットコムの創業期メンバーとして、初代編集長を10年間務めた。
- ■ <書籍>主な寄稿・出版物 ・野球ノートに書いた甲子園 シリーズ全6巻(2013年~2019年/KKベストセラーズ)
- ■ 講演依頼
・スポーツ感動物語 アスリートの原点「遅咲きのヒーロー」(2016年/小学館)
・甲子園だけが高校野球ではないシリーズ(2010年~/監修・岩崎夏海/廣済堂あかつき出版社)
・ただ栄冠のためでなく(2011年/共著/日刊スポーツ出版社)
・「高校野球は空の色」「高校野球が教えてくれたこと」など大学時代に3冊出版
ぜひスジーワ・ウィジャヤナーヤカさんに
決勝戦
審判してもらいたい
そして
スリランカのチームもさんかしてもらいたい
コメントを投稿する