第2回 韓国の高校野球事情 【韓国野球が熱い理由】2013年07月27日
【目次】
[1]高校野球ブームに火をつけた在日韓国人
[2]少数エリート主義の高校野球
[3]高校野球のマイナーリーグ化
今、最も熱い「韓国野球」を3回シリーズ連載でお届け。韓国野球に精通したスポーツライターの大島裕史氏が、韓国野球の事情を一挙紹介!
高校野球ブームに火をつけた在日韓国人

夏は高校野球の季節である。韓国でも1970年代頃まで、スポーツの大会で、国民に最も人気があったのは、高校野球であった。高校野球の全国大会が始まると、ソウルの中心部近くにあるソウル野球場(後の東大門野球場)は、1回戦から満員の観衆で埋まった。
韓国の高校野球人気に火をつけたのは、在日韓国人の高校生であった。1956年の夏から、甲子園大会に出場できなかった在日韓国人の高校生を集めて在日僑胞学生野球団を結成し、韓国各地で試合を行った。
当時、在日韓国人の高校球児と韓国の高校球児とのレベルの差は、かなりあった。日本で鍛えられた在日の選手たちの高い技術は、韓国の野球ファンを魅了し、韓国の高校球児に強い刺激を与えた。張本勲も58年に、この遠征に参加している。
在日僑胞学生野球団の祖国訪問試合は1970年代に入ると、祖国訪問試合を主催していた韓国日報が71年から始めた鳳凰大旗全国高校野球大会に参加する形で続いた。この大会は、予選なしで韓国全ての高校チーム(といっても50校程度)が参加して、夏の甲子園大会と、ほぼ同時期に開催された。
この大会で在日のチームは、74、82、84年の3回準優勝している。84年の大会で準優勝した時の捕手は、中日などで活躍した中村武志(韓国名・姜武志)である。中村の強肩は、韓国の高校球児を驚かせた。
また1994年にはベスト8に進出しているが、この時エースで中心打者だったのが、現DeNAの金城龍彦(韓国名・金龍彦)だった。こうした在日高校球児の祖国訪問試合は、1997年まで続いた。
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